オカゲ工場計画  2006.12. 1発行

 「信心」というのは、何か困った時にお願いをしていいようにして頂くものと、思っているでしょう。

これが゜基本ではありますが、だんだんとこうして教話も聞かして頂いて、いろいろと分かって来ますと、これは信心とは言わないですね。

私共は、もっともっと信心を進めて、いろいろとおかげを頂いていかなくてはいけません。

おかげの製造元にしっかり縋らせて頂くこと。おかげを出していただくだけでなく、皆さんが自分なりに「おかげ工場」になればいい訳です。

だから、教会へ参らせて頂くことは、皆さんが自分なりにおかげ工場を造るということ、一人ひとりが自分で工場を造っていくということです。

 そして、おかげはいっぱい頂きたい。

そのためには、相当大きな工場を造らないといけない。

資本金が無い人は、しっかり数多くお参りをして、その造り方をしっかり教えてもらえばいいのです。

自分でおかげ工場を造れば、いくらでもおかげは頂けます。

 こういう信心が大切なんです。

その「おかげ工場を造る」というのは、皆さんが成長をなさるということです。

そして、技術を促進させ深めるために、教会へお参りして教話を聞かして頂く。

すると、その工場がなお成長していきます。

こうなると、自分だけでなく夫婦や親子や家族や、皆が働ける大きな工場になります。

 だから、自分だけがお参りして、自分だけがおかげを受けて帰るような、小さい信心ではだめですね。

困った時だけおかげを買って帰り、ちょっと参って来て「困った、困った」と言うだけでは。

 何でいつも「困った、困った」になるのか。

 それは、自分が難儀に対して受けていく受けものが出来ていないからでしょう。

そして、いつまでもぶら下がって助けていただこうとするのがいけませんね。

「神様!助けて下さい!」と縋るばかりでなく、自分からも助かっていけるように努力してかないといけません。

 大切なことは「信心をする者には、難というものはない」ということです。

信心をしないから難が生じ、苦しむのです。

 生きることは苦しみですが、信心をしていたら「神様の世界のお手伝いをする」のですから、起きてくる事柄は難ではありません。

すべてが、おかげの中の出来事です。

 私共は生かされているのです。

だから都合の悪い事が起きても「あゝ、これは私の都合の悪い事を通して、私を育ててやろうと思し召しておられるのだなあ」と受けて、ありがたくやっていかれましたら、絶対にうまくやっていけるものです。

何事も最初は辛抱できないような事でも、辛抱しながらしっかりお縋りして立ち向かっていましたら、次第にそれが出来てくるようになります。

私共は、そのように順応していくものです。

だから少々辛い事でも、「辛抱、辛抱」と頑張っていたら、うまくやっていけるものです。

 これが「真の信心、真のおかげ」ということです。

こうなると皆さんの心の中に「おかげを頂ける工場」が出来ていき、「おかげを製造すること」が出来るようになっていくのです。

 皆さんには、それぞれ製造機があります。

問題が起きたら。口から入れたら下からおかげになって出てくるようになっています。

教会に参ったときだけでなく、いつでもどこでもおかげとなっていくのです。

それは、自分自身が「信心をそのまま頂いている」からです。

だから、「信心をする」ということが大事なんです。

「信心する者には難はない」「信心をしないから難がある」のです。

 先代先生は、「例え、どんな辛い目にあっても、笑って鼻歌でそれを乗り越えていけるように、そういうおかげを頂いて欲しい」とおっしゃっています。

ありがたいことですね。

共々にそういうおかげを頂いていきましょう。


     (親先生のお話より)

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