原 点  2006.10. 1発行

 先代先生は生まれ育ってこられた場所がお寺でしたから、早くお父さんと死別された後は、檀家を回ってお勤めもなさっていたそうです。

そうして肺結核になって、お母さんと逢うことが出来られた。

病気を基にして、母と子の縁がつながられたのです。

 しかし再会したものの、先代先生の心は、母親を責めて許せない気持ちでいっぱいでした。

くやしくて悲しくて淋しくて、うらめしい心が、喜びではなく恨み心に変わっていったのでしょう。

だから、先代先生は、親のない人には大変な気遣いをなさったと聞いております。

 だから皆さん、親に恵まれている人は、もっと喜ばないといけませんよ。

中には「うちには、祖父母も祖祖父母も居て、わずらわしくて困っています。」という人もおりますが、親の居ない人の事を思うと幸せな事です。

 揃って長生きをしておられるという事は、なかなかすばらしい事です。

人間の力では及ばない事。

全てが神様のお繰り合わせを頂いていればこそ出来ることですね。

 初代玉水大先生も、親のために信心しようとなさった。

この道では「信心は親に孝行するも同じことぞ」という教えがあります。

 大先生は、これを知って喜ばれました。

親孝行していたら神様が喜ばれる。

これが信心だから「どこまでも親を悲しませんように」と、信心で神様にお縋りなさったら、大変病状が進んでおられましたのに、起死回生で九死に一生を得られて助かられました。

 それからというものは、益々親孝行をしていかれました。

大先生のすばらしい所は、自分の親だけでなく、自分の勤めている店のご主人も大切になさったという所です。

たとえ良い主人でなくても大切になされた。この辺りがすばらしい。

 「親を思うこと」は立派なことですね。

「親を大切に」とは「基を大切に」ということですから、「恩を思うこと」は、「基を大切にすること」です。

 私共の原点は、先祖です。

生きている親もいるし、亡くなった先祖にも通じています。

だから、「恩を忘れない」ことは、非常に大切です。

 でも現在では、恩というような言葉は死語のようになっていますね。

だから、現在の子供達には分からない言葉でしょうから、よく教えてあげて下さい。

近頃は若い人達とは別に暮らしているから、話して聞かすことも難しいでしょう。

だから、伝承も難しいのです。

 そのために生き方をもっと工夫して頑張っていきましょうね。

別居生活者も少しずつ増えていますが、私は家族一緒に住めるのがいいと思います。

 そして皆さんの家族が、後が途絶えるようではいけません。

いろいろと行き詰まっている現状をおかげを頂いていかないといけません。

大きな問題ではありますが、家の立ち行きをしっかりお願いしながら、一歩一歩前向きにプラス志向で進ませていただきましょう。


     (親先生のお話より)

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