完 璧  2006.8. 1発行

 近頃は医療も日進月歩ですから、誰も気やすく形成手術を受けたりして、気軽に美人になろうとする人が増えています。

でもこれでは面白くないですね。神様は私ども一人ひとりに、それぞれに特徴ある体型や顔を造ってくださっています。

こういう違いがあるから面白いわけです。だから、私は「完璧でないのが完璧なんだ」と思います。

 私どもは不足な所ばかりを追求し「足りない、足りない」と求めていますが、追求する完璧が幸せとはいえないと、私は思います。

 神様はすばらしいお方ですから、たいした配慮を持って、千差万別に造っておられるのだと思います。

わざわざ全てのものを不完全に造られているのですから、私は神様のすばらしさを、つくづく思います。

 私どもは不十分であっても、壊れることもなく日々こうして生かしていただいている。もったいないことです。

今日もこうして老いて歩きづらくなっている人も、お参りなさっている。

これはすばらしい。

やはり、不完全なことが完全なんだなあと思います。

 皆さんねそれぞれ悩みを持っておられます。

その悩みが、また、大切なんです。

それが「生きること」なんです。

悩みがあるからこそ人生なんです。

悩みがなかったら、人生、味も素っ気もなくなります。


 だから夫婦の間、親子の間で、いろいろ問題が起こるのも、「これが生きることなんだ、これが生き甲斐なんだ」と思ってください。

神様は肉眼で見えないからわからないと思わず、心を凝らしてよく見てください。

あれもおかげ、これもおかげと日々に起こる出来事が生き甲斐になっています。

 もし、一日中何もなかったら、無味乾燥で、こんなに退屈なことはないでしょう。

だから、人生は思い通りに運ばれることがよいとは言い切れません。

「田舎のバスは、おんぼろ車、・・・」という歌詞がありましたが、ガタガタ揺れて走るおんぼろ車の方が楽しいこともあります。

 私どもの体も日々少しずつ老化が進んで来ますが、これも大きなおかげの中のことだと思います。

ここまで生かしていただいて来たことにお礼を申しましょう。

老化する体を休ませながら無理をしないようにしてください。

 先代先生のお話も若い頃に読んだのと、近頃読ませていただいたのとは、中身の受け取り方が違うと思います。

 近頃、医術もどんどん進んでいますが、天地の摂理のワクをはずしたら、絶対に成功はできません。

 だから、私どもは、その根源である天地の神様のお働きをもっともっと聞いて、無駄なことのない道を歩ませていただきましょう。

妙な所へ経済的な負担をかけたり、自分の人生の妙な所へ力を入れたりしないで、もっともっと楽しく、嬉しく、喜ばしい暮らしをしましょう。

これが一番望ましい生き方です。だから「生きた神を信心せよ」と、おっしゃっておられるのです。

薬も医療も利用すればいい。

でも健康でいることが一番重要なことです。

完璧を求めず、不足を減らして、喜びを探しましょう。



     (親先生のお話より)

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