毛 穴  2006.7. 1発行

 合理的なお参りというのは「あまり度々お参りしなくても、自分の願いを叶えてもらうこと。

苦労せずにおかげを頂くこと。」でしょうが、そんなのは絶対にありません。

少し参って大きなおかげというのは絶対に有り得ません。

 それは私共は苦労しないと分からないようになっているからです。

そこが分かれば「じゃあ私も何とか頑張ってみよう。」と努力してお参りされるでしょう。

 教えをただ読んでいるだけ・知っているだけではダメで、実践させて頂かなければなりません。

「信心」ということが分かったら覚えなくても実践ができるようになります。

 「毛穴から教えは入る。」と言われているように、体で覚えるのですから記憶力が良くなくても体が動いてくれます。

 しかしこの「実践する」のが一番難しいところです。

仕事を頼まれたら「ハイ、ハイ」と返事だけして動かないのでは用事はできません。

「言うは易く行うは難し。」という言葉がありますがそれと同じです。

 だから初代玉水大先生も「苦労をいとわずにやりなさい。」と言っておられるのです。

 難しく辛い仕事でも「願ってやらせて頂いていると、次第に無理と思えたような仕事も出来てきます。

 私共にとっては生きぬく事が信心です。

だから頂いているこの生命を日々輝かせて頂くことです。

家庭内の小さい出来事でもよくお願いしながら実践してください。

こういうことの積み重ねが大きな改まりに続いていくのです。

 皆さんもそれぞれ課題を抱えておられます。

だから子供達に少しでもこのお道の信心が分かって貰えるように働きかけてみてください。

皆さんはお参りしてお礼・お願いということは出来ておられますが、信心継承ということが一番骨の折れるところです。

 私共は今直面している問題について具体的に取り組んでいけばよろしいのです。

何も難しいことはありません。

別に神様のお言葉が聞こえなくても、ご主人とか家族とかが言われる言葉が神様からの言葉と受け取る稽古をしていくことです。

 私共の信心は「何かことが起こると止まりやすい」これが一番困ったことです。

 事が起きたら「あ!ここから何とかおかげを受けていかねばならない。」と立ち上がってください。

 足が遠のいてしまってはいけません。

足が遠のくのは初歩的なミスです。

神様から足が遠のくようでは我が出てきますから、おかげは余計に頂けません。

 でもこうしたケースは多いです。

だから信心継承のことについてもチャンスを頂いて教会へ連れて参るようにすることです。

 子供達も最初はいやいやのお参りでしょうが、段々と自分からお引き寄せが頂けるようになるまで、親はしっかり信心継承を願いながら努力していかないといけません。

 信心していなかったら家族のことも有り難く思えなくなるものです。

これでは助かる訳もありません。

そして喜ぶ稽古をしてください。

 例えば食前訓・食後訓もそうです。

「有り難く頂く心を忘れるな」です。

三度三度稽古をしていますと次第に身についてきて自然に言えるようになります。


     (親先生のお話より)

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