すべて信心で 2006.6. 1発行 |
皆さん「苦難」というのは嫌ですが、生きていくためには苦難がつきものです。 信心している私共は苦難の中にあっても「私は生かされて生きているんだ。」という気持ちになることが根本だと思います。 すると「少しは喜びを探して喜ぼう。」という気持ちになります。 玉水初代大先生は『生かされて生きてみなさい。 するといっぱい恵まれていることに気付くでしょう。』と言っておられます。 私共にはご先祖様があり親があり友達があり、いろんな人達のおかげで現在の自分がある。 自分は一人で生きているのではないのです。 こんなことは理屈で考えたら分かりますが、実際どこまで分かっているかというとあまり分かっていないですね。 さらに大先生は『万事よろしくお願いします、というような中途半端なお願いは、やめなさい。』とも言われています。 私共は生かされているのです。 生かしてもらわないといけないのです。 だから自分勝手な考えで生活していたのでは間違いなくややこしいことになるでしょう。 だから今自分の問題としているところをしっかりと見直して「万事よろしく」のようなぼんやりした祈りではなく、もっとはっきりとした祈りをしていくことです。 先ず神様に、生かされて生きていることのお礼をしっかりすること、そしてもっと良い状態になれるように助けていただくよう具体的なお願いをすることです。 自分の願いを神様の願いに添わせて頂けるように勉強し努めていく。 そうして自分の役割を果たさせて頂くのです。 男として女として夫として妻として主婦として、それぞれに立場があり役割があります。 これを神様や周りから喜んで頂けるように役割を果たさせて頂く。 一生の間にこれをやらせて頂くことが人間として私共の本当のおかげを頂く目的です。 世の中には自分勝手に生きている人が多いからややこしい。 悩みは尽きないでしょう。 だからこそ私共は目標をはっきりさせて、それに向けて歩ませて頂こうとしているのです。 私共がまず一番にお願いしていかないといけないのは健康のことでしょう。 人生を健康に楽しく嬉しく過ごせるよう、そして周りの人に喜んでもらえるような生き方ができるように願わせて頂くことです。 それから大先生がもう一つ言われているのは、「願いを具体化してもっと意欲的に行動する」ということです。 「絵に描いた餅を拝むのではなく、その餅を食べるような信心をしなさい。」ということです。 「生活即信心」ですから、例えば日々の食事をどう頂くのかも信心の一つです。 好きな物ばかり食べていては体のためにあまり良くないでしょう。 だから食べることで健康でいられるような信心をしてください。 生活全てが信心なのです。だから、一人一人の悩みが喜びに変わるようでないと信心しているとは言えないでしょう。 辛い苦しいをバネにして「難はみかげ」と変えて頂くのが大変だからお願いをするのです。 (親先生のお話より) 前ページへ戻る |