祈りの継承  2006.5. 1発行

 玉水初代の大先生は『ご祈念は神様に仕える唯一の道』と言っておられます。

祈りが無かったら信心は成り立ちません。

 だから新しい人は先ず祈ることから進めていかないといけません。

皆さんの中にも参って来てお届けをサッと済ませて帰る人がおられますが、これではいけません。

 皆さんは願いを持ってお参りして来られます。

そして「こうなりたい」と思う希望と厳しい現実の間を埋めるものが祈りだと思います。

 信心継承は祈りの継承です。

今、私共は親として子供のことを祈っていますが、子供は案外祈ってはいません。

でも子供が成長して親になった時には、子として親のことを願って貰わないといけませんね。

 「私は家族のことを祈っているから家族を助けている」と思ったりしていますが、結局は自分が助かっているのです。

 教会は祈りの一番濃い所ですから、教会にお参りしてきてお届けをし、お話を聞いている間だけでもホッとします。

そうして神様を離さないように祈りながら理想と現実のギャップを埋めていくのです。

 自分はなかなか気が散って祈りに集中できないという人は「せめて足だけでも運ばせて頂こう」と思って、教会へ参って来るだけで良いのです。

 「気分がイライラする」とか「夜眠れない」という人は、もっと安心が頂けるように祈ってください。

 信心は生命ですから、祈っていると理屈に合わないほどのおかげが頂けます。

だからぜひ「祈る」という基本的な事が習慣づけられるように、しっかり稽古をしておきましょう。

 掃除や食事をしながらでも、いつでも祈れるようになります。

が、そこに至るまでがかなかな大変です。

 悩み事は神様にお渡しするのが一番です。

神様には内緒ごとをしないように何でも話して聞いて頂いてください。

ただご神前で黙ってご祈念をしていたのでは分かりません。

 皆さんの中には教会が「営業のように信心せい」と言っていると思われる方があるかも知れませんが、それは違います。

お道の信心をしっかり継承することが一番大切なことだと信じているからです。

 お道の信心は先祖から子孫に至るまでを助けてくださるお道なのです。

 先代先生も二十一歳の時、結核で亡くなっておられたら今の高須教会はありません。
 「成らぬところを成らして頂いての今日」と、いつも申していますが、これが高須教会の原点です。

 皆さんもそれぞれ素晴らしい信心があるのですから、祈りによって各自それぞれに素晴らしいおかげを頂いていきましょう。

 「出来ない出来ない」がやがて出来てくるのです。

だから「自分がやる」という我を出さないこと。私共は「おかげを頂いての今日」です。

 母がよく『隣に行きますとお届けをする人は無い。』と申していました。

 皆さん遠方へ旅行する人はお届けをされます。

しかし本当は隣に行く時も何かが起こって事故に至ることがあるかもしれないのです。

 そう考えてみると一寸先は闇。全く危険いっぱいです。

皆さんよくここまで来られました。有り難いことです。


     (親先生のお話より)

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