辛抱信心  2006.4. 1発行

 私共は教会へお参りして神様にお願いをして帰るのですが、このままでは信心は子々孫々に伝わっていかないと思います。

 例えば親が九死に一生のような大病をして助かった≠ニいうようなことがあれば、子供達は「大変なところをおかげ頂いた」とびっくりして、それがお引き寄せの元になるのでしょうが、それほどの事件でもないことにはなかなか家族はこっちを向いてくれません。

 やはり自分から模範を示していくこと、教えを真面目に実践していくことです。

真面目に実践しないで良い収穫をあげようと思うのは大間違いです。

 ただ実意をもって一生懸命に頑張っていても幸せになれないのは、めぐり合わせや因縁という先祖代々からの種を体の中に持っているからで、そんな場合は、信心しか変えようが無いのです。

 例えば病弱な体質はなかなか変えられません。

寿命などもそうです。

命を足して頂くことも人力ではできません。

最後は神様のお力にお縋りするより他にありません。

 私共の体はそこそこの年齢まで生きれるように神様はお造りくださっているのですが、でも体を粗末に扱っていると生命が減ります。

だから「頂いた命」によくお礼を言ってください。
 
 今日まで元気で来られているのも親のおかげ。

元気な体に産んで頂いたから今日まで元気で居られるのです。

親が病弱な人でしたら、私共はこの世に居なかったかもしれません。

 私共は「生きる」とはどういうことかを学んでいくのです。

だからそれまでは辛抱して真面目に自分の持っている役割を果たして欲しいのです。

 生まれてから亡くなるまですべてが修行。

だから生きることは辛いことです。

しかし辛抱ができてくると辛いことが無くなる。

こうして人間が育っていくのです。
 
 ただ我慢と辛抱は異なるものです。

我慢は己を抑えている。

明るく素直な思いではありません。

 しかし辛抱は、自分から進んで努力をする形です。

だから辛抱が良いです。

私共は信心辛抱。そういう思いでおかげを蒙ってください。

 私が若い頃、銀座で先代の奥様が「あんたらにはまだまだ信心辛抱は出来んで。

だから辛抱して信心をしなさい。」と言われていました。

 ただ目先が良い・悪いと言っているのは本当のおかげではありません。

そういうことではなく、それを貫いたところに本当のおかげがあるようです。

だから皆さんもそういう「真のおかげ」を求めて頑張ってください。

 大先生は「真の信心をして真のおかげを受けなさい。」と言っておられますが、こういうことだと思います。


     (親先生のお話より)

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