信心表現  2006.2. 1発行

 私達は日々神様の願いに添うように生活しているかと問うと、なかなかできていません。

自分の都合の良いように過ごしているのですから、私達の暮らしもその通りに行く訳がないのです。

 でも段々とそういうことが分かるようになります。

 たとえそれが都合の悪いこと、苦しいことであっても、神様のご都合に合わせるようにやっていると、段々と上手くいくようになっていきます。

 皆さんはそういうことが分かっておられるから、こうして日々神様のご都合に合わせようと努力しておられる。

子供達にはまだまだそれは無理ですが、チャンスがあれば、このお道の信心を一日でも早く子や孫に伝えて欲しいのです。

 私は日々のお話のなかで「私共がどんな御無礼を天地に対してやっているか。」を話させて頂いています。

 御無礼とはお礼の足りないことですが、例えば「有り難う」の言葉が足りません。

親にしてもらってもそれは当然だと思っている。

人に物を貰っても「どうも」で済ませてしまって「有り難う」とは言わない。

 こうして例を挙げればきりがありません。

そして子供達は自分が一人で大きくなったような顔で偉そうにしている。

 でもこういう子を育てた責任は私達自身にあるのです。

信心を伝えていないというのも御無礼になります。

 こうして神様からいっぱいおかげを頂いて生かされているのに、それは言わないで「自分の努力でここまで来た」ようなことを言っている。

 これは神様からのおかげを自分が取っていることになるので間違った考え方です。

 神様からのおかげということを言わないで自分で今日まで勝手に長生きできてきたように言っていると信心は伝わりません。

 自分の力で幸せになったのではありません。

私共は神様のおかげでこのように幸せにして頂いた。

そして「有り難うございます」と言えるようになったのです。だからこれを子供達にぜひ伝えて頂きたいのです。

 そうやって信心を頂いておれば、少々の風邪とか腰痛の痛みとかは薬を飲まなくても病院へ行かなくてもおかげを頂けます。

 薬を飲んでも効いたり効かなかったりするでしょう。

薬も限界があるのです。あとは本人の心の持ちようです。

 だから一応薬を飲んだら後は祈ることです。

治療を受けても「有り難く頂く心」が無いと駄目です。

信心させて頂いておれば近くの医者でしっかりおかげを受けることもできます。

 「おかげは和賀心にあり」です。

神様はどこにもおられるのです。

だから神様を表させて頂けば元気になります。

私共の命の源泉は神様がくださったものですから。

 私共は信心を表すご用をさせて頂けるように実践することが大切だと思います。

まず私共が「生かして頂いてありがとうございます。」を実践させて頂きましょう。

 そして折に触れて「生かして頂いて有り難いこと」を家族に伝えていきましょう。


     (親先生のお話より)

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