天地の歯車  2005.10. 1発行

 私共は生きていく事自体が大変なことです。

人間は他の動植物の生命を絶って生きているのです。どうしても何か食べないと生きていけないのです。

だから何を食べるにも飲むにも有り難く頂かないといけません。

 「水は天地の血液」と言われていますが、私共が生きる上には必要不可欠なものです。

 空気も必要なもの。

空気中の酸素を私共は必要としていますが、もし全てが酸素だったら毎日山火事が治まらないでしょう。

でも空気中には他にもいろいろな成分が含まれているからこうして生活が出来ている。自然のしくみはすばらしいものです。

 全てが天地の神の御意思です。

この天地の御意思を無視して自分の勝手な思いで行動しようとするから歯車がひずんでくるのです。

 人間の思い通りになる訳がない。

人は天地の歯車に合わせて動こうとすると動けますが、自分に合わせようとすると苦しい。

だから人は天地の動きに合わせさえすれば楽に過ごしていけるのです。

 時々病気になのも大きなおかげです。

病気は自分では治すことが出来ません。

薬を飲んでもなかなか早く良くならない。それは「自分が自分の力だけで生きている」のではないからです。

 神様は病気を通して神様のお働きのことを良く分かりなさいと言っておられるのです。

だから「生かして頂いて有り難うございます。」と気付かせて頂いて神様にお任せをさせて頂くのです。

 朝、こうして目を覚まさせて頂いたことは全く有り難いことです。

「ああ、あれもこれもみなおかげを頂いているからだなあ」と気付けば喜びが沸いてきます。

だから不安や心配の気持ちが出てきたときは、喜びを探して思い替えをしたらよいのです。

 舌も手も足も使い方次第で大変なことになることもあります。

だからといっても何もしないというのは、せっかく元気な手や足を貰っているのにご無礼です。

特技を生かして人の喜ぶことをしてあげましょう。

 人それぞれに何か神様から頂いた使命使命があるはずですから、私の使命はこれだと思ってさせて頂きましょう。

 神様は事象を通して私達に「分かりなさい」と言っておられるのです。

金を貯めたり家を建てたりするのが人生の目的ではないと思います。

 神様が願っておられるのは「この世に生まれて来たことを喜んでほしい」ということです。

でも現実は厳しく苦しい。

それはメグリが出てきているからです。だから教話を聞いて勉強させて頂いてメグリの実態をよく研究すれば良いのです。

 人間はこの天地の資源を我が物のように扱ってご無礼お粗末を重ねて来ています。

空気にも土地にもお礼なんかしていませんね。

 先代先生も「自分で勝手に息をしている。勝手に生きている。」と思っておられました。

しかし結核が進んで自分では息もまともに吸えなくなり血を吐くようになられて随分苦しい目に遭われました。

 また玉水初代大先生は「どんな状態になりましても生きていかねばならないのですから、そこを自分の修行の場と有り難く取らせて頂いて。」とおっしゃっています。

 何をするにも「辛い。苦しい。」ではいけません。

神様から頂いた修行として有り難く頂く稽古をしてください。すると気持ちが少しずつ好転して明るく前向きになってプラス思考になって来るでしょう。

 私共は「生かされている」のですから全てをお任せしていきましょう。

 地上のこの姿は全て神様のなさる仕業ですから、私共はそれに合わせていけば良いのです。


     (親先生のお話より)

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