天地の合理性  2005. 7. 1発行

 お道の信心というのは、ただ拝んでいるだけでは願い捨て≠ナ一方的になってしまいやすい。

そして、思い通りにならなかったら、信心をやめてしまいやすい。

こういう信心では、なかなか助かりません。

 だから大先生は何度も『聞いた話を参考にして練り出しなさい』といっておられるのです。

 私共はどうしても人間心になってしまって合理的に考えやすい。

何でも早く正確にするとか、成績を上げるとか、少しでも多く儲けるというのが合理的だと思っています。

 しかし私共の思う合理性というのは人間社会を生きていく上での合理的であって、大先生の申されている『合理的』というのは少し違うのです。

 お道の教えは「天地に対しての合理性」です。

しかし私共は「人間社会での合理性」を追い求めていますから、尼崎の列車事故のようなことが起きたりするのです。

 電車が10分おきに来るよりも5分おきに来るほうが便利がよいです。

そして便利に慣れてしまってホームで10分も待っておれない。

社会がこういうことを追い求めていますから、過密ダイヤになってしまって事故が起きたのです。

 「安全」ということが天地に対する一番の合理性です。だからこの天地への合理性というのを忘れないように。

神様は、皆さんが一生、天地に合理的な世渡りをできるように願っておられるのです。

 神様はこのように思っておられるのに、私共は「そうは言っても、やっぱりスムーズにスマートに格好良くいかないと」と思う。

これが私共の考える合理性です。

要するに天地の合理性と人間社会の合理性とが合わないから困っているんです。

だから難儀が起きてくるのです。

 家庭でも親の思いと、子の思いとはなかなか合わないですね。

そういうときは自分の思いは一旦置いといて、若い者に合わせながら神様に「私の我をださないようにして若い者に合わせるように努力しますから、どうか良いようにお引き廻しください」とお願いしていくのです。

これが大先生の申されている『合理性』ということです。

 皆さん、子供や家族の者を信じてひとつ前向きに取り組んでみてください。

すると案外問題が好転するかもしれません。

 そして本当の「合理的」が分かれば、みんなが喜び合えて、命を大切にして、少々どうであっても、みんなが仲良く暮らせるようになるのです。

また、家族の中に病人が出ても辛抱できて早く全快できます。

 だから何ごとにも「あいよ、かけよ」で仲良く睦み合っていることが一番大切です。

 「お金さえあればいい」というような考え方が現代の気風です。

そして「内側はどうでもいい。

外見の格好さえ良ければいい」というような気配が流れています。

だから家庭の中が空白になって毎日が味気ないものになっていくのです。

 幸福ということについて思うのですが、皆と共々に話し合い睦み合いながら楽しく生きていけるのが一番幸せなことではないでしょうか。

 今何で困っているのか。

それは神様が「悟ってほしい」との思いでこうした問題を下さっているのです。

だからそれに気付けば困ったという問題も少なくなってきて、もっと良い問題が出てくるようになります。


     (親先生のお話より)

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