もしや  2005. 6. 1発行

 銀座初代大先生の信話集に『「もしや」という思いは信心の致命傷』というお話があります。

 いつも話しているように「生きること」と「死ぬこと」は紙一重の差です。命を粗末にしていたら、いつどんなことになるか分かりません。

 新潟の地震では一時、八万人ぐらいの人が避難しておられたということですが、きわどい所で大きなお働きを頂かれて助かったという所もあると思います。

 沢山のご先祖様や多くの神仏のご守護など目に見えないお力のおかげで、このぐらいのことで済ませて頂いたのだと思います。

 日本もイロイロな問題を抱えていますが、何でも日本が良い国になりますよう。

そして世界の国々のお役に立ちますように頑張っていきたいものです。

 私共も人のお世話をさせて頂けるよう、世のお役に立てるようにしっかり信心を頂いてまいりたいものです。

 「かけた生命は神は取らぬ」と言われていますが、私共はもともと神様から生命を頂いているのですから、もし奪われても「もともと」です。

 いつかはお返ししてあの世へ逝くのです。だから日々をどう生きるか≠ェ問題です。

 先代先生の感話集の中で何度も繰り返し言っておられるのは「恐怖心」ということです。
「もしも死んだらどうしよう」とか、「病状が悪化したらどうしよう」という、ここが信心の中で一番おかげを頂かなくてはいけない所です。

 「己が己の力で生きておる」と思っているから苦しい。恐怖心から逃れられないのです。

 私共は生命を頂いて生きているのですから「ここからはおかげを頂くより他は無い」と思うことです。

「どんな問題があってもこれ以上は悪くならん。」と前向きな気持ちを持って頑張って頂きたいと思います。

 高橋正雄先生は「信心は腹芸じゃ」と言っておられます。

やはり腹をくくっておかないといけないということです。

 どこまでも「みんなが悪い」「先祖が悪い」と人のせいにしていたのでは、いつまでたっても改まりなど出来ません。

 「私がこうなったのもあの人のせいだ」と恨んでいる方も居りますが、なんでこんなことになったのか。

 その種まきをしたのは自分です。

自分がなかなか言うことを守らないから行き詰まってこういう状態になるのです。

 聞いているような顔をして、よそを向いて、自分の都合のいいことだけを聞いている。だから物事が裏腹になって、おかげが頂けないことになっているのです。

 信心している私共は、先に心配をして待つのではなく「明日のことは明日のこと」と思って、それよりも「今日まで無事に来られたこと」にしっかりお礼を申していきましょう。


     (親先生のお話より)

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