意識改革  2005. 5. 1発行

 「おかげを頂きたい」といくら思っていても、まず自分の意識を改革しないと、自分に取り付いている障害物は取りませんし、おかげを頂くことも出来ません。

 皆さんに本読みをして頂いているのも「意識改革のため」です。

 神様にお願いをして改まろうとしても、なかなか難しいこともあるでしょう。

例えば食べる物について偏食の多い人もいますが、そういう人は簡単に改まることは難しいです。

お参りでも「面倒だなあ」と足が進まない人もあるでしょうが、でもおかげを頂こうと思えば、そこを改まらないといけません。

 要は、嫌なことは神様にお供えをして、自分は改まるのに難しいことを進めていくことです。

 人それぞれに趣味がありますが、それが願い成就のために差し支えることなら、控えていかないといけません。

一番辛いこと、やりたいことでしょうが。

 例えば釣りの好きな人は寒くても早朝から沢山着込んで行きますが、仕事に行くとなると足が鈍る。

これが問題です。

 仕事に行く時にも、釣りに行く時のように張り切って行けたら良いのですが。

そういう所を「いかに自分を変えていくか」です。

 意識改革は一番大切な事です。

神様に生かして頂いているということをしっかり胸に置いて何事も考えるようにしてください。

 神様からいのちを頂いてこうして生かして頂いているのですから、何事が起きても「結構」と思わないといけません。

 私共は意識改革をしないとおかげを蒙れないのですが、自分で改まろうとしてもなかなか出来ません。

だから何か事が起きたときに、その問題に乗せて「改まること」をすれば良いのです。

 辛い時やおかげを頂けない時に「なんでおかげを頂けないのか」と自分を見つめ直して、自分の欠点を神様にお供えして改まっていくように努力をする。

こうしていると段々良くなってきます。

 己をあまり持ち出さないこと。

自己主張したいのでしょうが、ちょっと置いておいて神様の願われている所に自分の思いを持って行くようにしたら良いのです。

 自己中心で勝手なのが人間の本能です。

皆さんそれぞれ問題を抱えておられるから病気にもなれない。

忙しいから元気で居られるのです。

 “金がある。

暇がある。

健康である。

”こういう人は参ってきません。

でも私共はいろいろ問題が起こるから頭を抱えて教会にお縋りしないと生きていけない。

 自分の願いばかりを通そうとしていたら、いつもでもおかげを頂けません。

 だから我を全部神様にお供えをして「神様のご都合を考えてやりなさい」ということです。

こういう努力をしていたら段々と神様のご都合に合うように自然となって来るのです。

こうして幸せにさせてくださるのです。

 これでは「自分というものはないじゃあないか。」と思うでしょうが、自己主張ばかりしないで神様にさせて頂く生き方を実践できるようになると楽になってきます。


     (親先生のお話より)

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