器(うつわ)  2005. 4. 1発行

 信心の“器作り”の5つのポイントは「祈り・勉強・始末・経済・真実」をしっかりすることです。

 神様にしっかりお縋りしながら勉強する。そして余計なお金は使わないで、裏表のない生き方をするように。

 教えの中にも『裏と表の心を持つな』というのがあります。

 だから日々正直に真実をもって生活することです。

 例えば「経済のおかげ」と願っているのに贅沢をしてはいけません。

願う以上は自分もしっかりとした受け物を作る努力をすることです。

“足らん、足らん。”と言っていたのではいけません。

 神様に願った以上は自分の行動もそれに添わせていただき、成果が上がるように実践していくことです。

 でも私共は神様に願うばかりで自分の努力は足りておりません。

願いながらおかげを落とすようなことをしていたのでは、神様に対して本当に申し訳ないことです。

 神様は見抜き見通し。

自分の都合の悪い時に先代先生のお写真をクルッと向こうに回しても、先生はどんなところからも見抜き見通しです。

 仕事でも人を当てにせず自分のやるべきことをきちんとしていれば、神様はきちんと見てくださいますから、それなりの成果が頂けます。

 しかし私共は教会から離れると「我」が出やすい。

そして自分の勝手を通そうとします。これは一番おかげを落とすことです。

 人が見ていなくても陰日なたなく働けるようになるとしめたものですが、そこまで至るには信心辛抱や時間がかかります。

 ただ、信心が進んできますと家庭内でも教会に参っているような心境になり、良いご用ができるようになります。

こうなると家族もついてくるようになり、良い家庭になります。

 でも外では立派なことを言いながら家庭では自分勝手な行動ばかりしていたら何にもなりません。

だから裏表のない生き方をしないといけません。

 外では虫も殺さないような顔で澄ましている人が、陰で殺人事件を起こすようなことが最近は増えてきています。

まさに世の中のひずみが出ているのでしょう。

 だから平素から“思い”について意識を改革できるようにおかげを頂いていかないといけません。

「思いは願い。

願いは必ず叶えられます。」 だから、私共は思いが間違いのないものであるようにおかげを頂いていかないといけません。

 日々のちょっとした思いも、積み重なれば、将来花が開き実がなっていくのですから、いつも良い思いになれるように心掛けましょう。

 私共は教会を一歩出てからが問題です。

雑念が入ってこないように、いつも「生かして頂いて有り難うございます」と言っていれば良いのです。

 「なんで私は金で苦労するんじゃろう」と悩む人は「苦労しないように努力しよう」と思い、神様に「もっと努力させてください」と願えば良いのです。

 でも私共は「もう自分は限界じゃ。

これ以上は辛抱出来ん。」と思う。

 だからお参りをして、神様に辛抱させて頂けるようにお願いをしてから行動するのです。

 私共は一生が勉強です。

親になれば親としての、男には男としての、女には女としての勉強があります。

そして、こういうことが喜びになるように頑張ってさせて頂きましょう。


     (親先生のお話より)

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