宝の山 2005. 3. 1発行 |
「おかげ」にもいろいろありますが、私共は、"唐がらしのおかげ"からは逃げようとします。 神様が私共に「辛いことがあるから幸せも生きてくるんだ」ということを教えようとして、手を替え品を替えて体験させてくださっているのにそこから逃げようとする。 長い人生いつも平坦な道なら言うことはないですが、いつ何時行く手に大きな障害が現れるか分かりません。 しかし私共はそういうことが起こっても惑わされないようにしないといけません。先代先生は「現象に惑わされなさんな。」と言っておられます。 事象はコロコロと変化するものですが、その中にある実体はそうコロコロ変わらないものです。 だから心の眼を見開いて実体をしっかりと見なさいということです。 外面に現れている現象だけを見て騙されないようにしないといけません。 だから「思うようにいけばいい」と思うのは大変な誤算です。 私共には誰もハンディがあります。そして顔形が違うようにメグリも違うのです。 ヨーイドン!でスタートしても、私共は人より後からのスタートですから急いで信心に励まないと危ないのです。 だから神様は私共に「早く信心しておかげを受けなさい」とおっしゃっているのです。 五年・十年と信心を続けてきている方は、決して無駄ではありません。 私共は目先のおかげももちろんですが、もっと大きな"安心立命"という目標があります。 こういうおかげを頂くため日々信心に励まして頂いているのです。 目先のおかげを頂くことに気を取られてはおりますが、そうしながらいろいろな事を越えさせて頂き、今日まで来たのです。 そして気が付くと随分いろんなことを越えさせて頂いてきています。 初めはボタモチのおかげばかり追っていたのがいろいろなことを体験していく間に唐がらしの味の良さが分かってきて、唐がらしのおかげに直面しても慌てなくなるのです。 皆さんもいろいろな問題を抱えておられます。 ある程度歳がいくと代替えという問題も出てきます。 私共にとって一番大切なのは、後の者がしっかりやってくれて家を任せることができるようになっていくことです。 私共は信心しても、この程度ですから、信心がなかったらこれ以上良くなる訳がありません。 だから信心継承はとても大切なことです。 しかし私共はこういう大切なことに手を出さずに他の必要ないことにばかり手をつけておいて、「うちの家族は信心してくれん。」と諦める。 若い者を責めるだけではいけません。 この責める思いが相手に伝わります。だから「真一心に願わしめ給え。 日に日に新たに頂かしめ給え」です。 信心継承ができないのは、皆さんの「信心していても、この程度のものか」という思いが伝わっているからです。 本音がそうだから信心が伝わらないのだと思います。 子供さんの態度を見たら皆さんの本音が分かります。 信心は宝の山です。 信心はおかげの頂きっぱなし、頂く気があれば、それこそ自由に頂けるのです。 天地の資源は誰でも頂ける取り放題のものです。 ただそれが取れない所に問題があるのです。 (親先生のお話より) 前ページへ戻る |