垢取り  2004. 9. 1発行

 私共の生命は、天地につながっています。一人ひとりの生命は天地につながり、天地の生命を頂いて生きているのです。だからこの生命はいつも輝いているはずなのですが、どういう訳か輝かなくなっています。

 我情我欲の塊のような私共の器に入りますと、いろいろのしがらみが強くそれを巻き込んで、垢のようになって溜まります。

 だからその汚れを取り除くために、私共はこうしてお参りをして、魂を磨いているわけです。

 すると段々中から光りだし、病気も癒えてきます。良いアイデアも浮かびます。誰でも磨けばそういう事を分からせて頂けるのです。

 千里眼とまではいかなくても、少々先の事までは予測がつき、安心も頂けるのです。もっと努力をして磨けば人を助けるというご用に使って頂くことも出来ます。

 皆さん、ご年配の方が多いですから「人助けのご用」といっても内容が限られるでしょうが、若い間はいくらでもやる気を出せば出来ます。

 しかし、自分の我情我欲でしたのではダメです。まず自分の魂の周りにとりついて汚しているものを取り除くことが大切で、そのためには修行が必要です。ただ参るだけではつまりません。

 魂を磨くためには辛抱していくということが必要です。毎日が修行だと思って、嫌な事にもチャレンジしていかないといけません。

 先代先生は感話の中で『私は人さまをお助けするため、皆さんの良いお手本になりために、日夜頑張っております。』とおっしゃっています。

 親奥様もきゃしゃな体で大変なご用をなさっておりました。『私は普通の男性よりは頑張っているで。』とよく言っておられました。先代先生の亡きあとを家のやりくり一切からご用まで細い体に一手に受けて頑張っておられました。「我」を良い方向に使っておられたのだと思います。

 私共にはとても真似のできない事ですが、それは長い間に培われたご信念で、親奥様はとてもしんどかったと思います。体がしんどい時に人を導くご用をするのは大変です。

 皆さんのお宅でも家族がなかなか信心をしないでしょ。それは信心を教えないから。教えるのはしんどいからです。でもこういう利己主義ではいけません。自分の事だけやっていたらダメです。

 皆さんは自分の事はできる。だから今後は「自分のことしかできませんが、どうか家族のものをお導きさせてください。」と、よくお願いしながら、家族のことをしっかりとやってあげて、少しでも信心を教えてあげてください。

 私共はなかなかわがままです。自分勝手に引っ張っていきやすい。だからそこを戒めて、辛くても眠くてもお参りさせて頂く、そこに価値があるんです。いきなりパッと変わらなくても、お参りをしていることを自負させて頂いて喜びと感謝を持って少々の苦難には負けないようにさせて頂きましょう。


     (親先生のお話より)

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