継 承  2004. 8. 1発行

 私共はあまり先々の事まで考えなくて良いですが、後継者の事は考えないといけません。信心の継承、家の継承、これだけを考えておいてください。後継者がいれば道はつきます。

 尾道を離れて遠くへ住むようになっても教会は日本全国あちこちにあります。
 「神様第一」の生活をしていたら道がつき繁盛するようになりますから、神様を大切に頂くことを考えてください。
 「神様はどれほどのお働きのある方なのか」は信じ方の問題です。ちょっと頼んでお願いを聞いて頂いて、それで満足しているようではダメです。

 教祖様は「釈迦もキリストもみな天地のう氏子である。」と教えてくださっていますが、お道の教えはすごいですね。

 私共は「神様は偉大である」と口に出して言わなくても、やるべきことを黙って実行していれば信心継承も出来ていくと思います。

 けっして「私が参っているから家の中が上手くいっとるんで」と言わないこと。神様がお引き寄せくださっているから家の中が上手くいっているのです。

 しかし、、お参りしている皆さんのところで継承が止まったのでは、日々お参りをして積ませて頂いた信心の貯金は無くなってしまいます。

 だから、ぜひとも信心の有り難いことをお伝えして、この道の継承者を育てさせて頂きましょう。

 私共は、神様を「偉大なる神様」として頂いているでしょうか。まだまだ頂き方が足りないから結果が思い通りになりませんね。

 玉水初代大先生は「苦労しただけ身につきます」とおっしゃっておられます。苦労しただけ人は賢くなるものですが、信心がありませんと本当の幸せな人にはなれません。

 いくら成功しても「わしがやったんじゃ」と肩肘を張っていたのでは、段々と意固地になって家族にも嫌がられるようになる。だから、信心を頂いて「神様にして頂いたんだ」と謙虚に行きましょう。

 おかげを頂いた時は「神様からおかげを頂いた」と喜び、うまくいかなかった時は、「私が間違っていた」と反省していたら間違いありません。

 しかし私共はその反対で、うまくいくと「自分がやったんじゃ」と思うし、ちょっと悪くなると「神様に参ってお願いしているのに、なんでこうなるんじゃ」と不平・不満ばかり。これではダメです。

 足して頂いているのですから、お礼に参拝し喜ばせていただく訳です。こうしていると神様が「この氏子は実意があるなあ」と思われて可愛がってくださいます。

 だから私共は、こうして毎日「天地の道理」とは、どんなものか勉強させて頂いているのです。


     (親先生のお話より)

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