信心の種 2004. 6. 1発行 |
先代先生は【真の神】(感話第一集)の中で『真とは、実意・丁寧・親切・正直である』と申しておられます。『万事において真心が一番の種である』『真の筋が通らないと神様も聞いてはくださらない』と何度も話しておられますが「真」はなかなか言い表しにくい難しいところです。 簡単に申しますと、”神様の願いにそった生活や思い”ということでしょう。だから私共は神様の願いに添った生き方をさせて頂かないといけないということです。 しかし、私共はついつい自分本位の考えになりやすいものです。先代先生はそれを『自分本位に考えるエゴ中心の行為』と言っておられます。 中には「世の中は自分のためにある」と思っている人もおられますが、「自分が困るから家族があるんだ」というような考え方では家は良くなりません。 家族が問題を起こしたりして悩むことが出てきても、自分は黙々とそれに取り組ませて頂き、みんなのために役立てるように行動することで、少しでもその問題が解決するようにしましょう。 自分のことは後回しにしてでも、そのような努力をさせて頂くことが必要です。なかなか実行は難しく大変ですが「真の生き方をさせてください」と神様にお願いしながらさせて頂きましょう。 そして相手を責めたり、不足を言ったりしないこと。こうして家族の為に生かして頂く。これが「真」というものです。 ”これだけしたから”というのは真ではありません。尽くしても足りないので真です。しかし、分かっていてもついつい自分本位になりやすいものです。 夫婦の間でも同じです。自分が困るから相手に「こうなってほしい」と思う。これではいけません。 まず、夫婦お互いに相手のことを思いやって”あなたと共に”と考える。「私たち夫婦は二人合わせて一人前なんだ」と考える行き方が良いですね。 お参りでも「参らんといけんらしいで」と参っている人と、「私は参らせてもらわないと助からないんだ」と思って参る人とは中身が全然違う。だからおかげも全く違います。 「一分違うと一分違ったおかげ」という教えもあります。だから「私はなんでおかげが蒙れないのか」と思う人はそれだけ真が抜けているていうことでしょう。 神様のせいでも他人のせいでもなく、自分の思いが足りないからです。「私の真が足りないからだ」と悩まないと信心は進みません。「私は悩んだことはありません。」と、そんなことは言えるものではありません。 特に私共は人間関係で悩みますね。家庭内はもちろん、全てのことにおいて、そういうふうにできるようにと、先代先生は教えてくださっています。 信心は真心とも書きます。信ずる心よりもまず真の心であること。信心においてはこのようであることが大切なのです。 まっすぐに真をもって素直であること。なかなか実践は難しく大変ですが、どうか真をもって、そういう稽古を積ませて頂きましょう。 (親先生のお話より) 前ページへ戻る |