思い罪 2003.12.01発行 |
教祖様の教えに「心で人を殺すのは重い罪である」というのがあります。 神様は「思い」を大切にと言っておられるのですから、私共は「思い」で人を殺したりすることのないように信心の稽古をさせて頂くことが大切です。 「思い」は目に見えません。 何を思っていても自由ですが、私共の生活のすべては「思い」がスタートですから良い思いになりませんと良いおかげにはなりません。 油屋さんのお話しにもありますが、油を量り売りしていたころは、ごまかしておれば儲けることもできる。 しかし信心するものはそんなことをしないで、きっちりとやることです。 すると儲けは少ないようでも、徳を頂くことができる。 だから信心させて頂いて徳を頂くような商売をさせて頂くように。 すると先々立ち行くようなおかげを頂けます。 それをごまかしているから、うわべは儲かっているようでも、結局めぐりや罪になって、後々の者が困るという結果になるのです。 「前々のめぐり合わせで難を受けおる」と言われておりますが、ご先祖様もいろいろとやって来られたのでしょう。 私共には今日に至るまで何万人という先祖がおられるのです。 だから先祖代々からのめぐり合わせで信心しないといけないようになっているのです。 神様はまず私達を助けようとしてくださっていますが、なかなか助からないところがあります。 「お金が儲かった」というのは目に見えている世界だけのこと。 本当に目に見えない世界で信心しておかげを受けてください。 徳を頂いたらそういうことはいくらでも出来てくるのですから、「信心してもこんなものか」と思っても、正直に辛抱してやっていってください。 まず日々を大切に暮らして親子・兄弟の仲を大切にすることです。 家族を大切にしないと自分も幸せになれません。 しかし私が「大切に」と言うと、信心もさせないほどかわいがって大切にしている。 おかしな話ですね。 信心をさせないようでは命取りです。 よくお願いしながらコツコツと信心継承を目指して進んでいくこと。 一番大切なことはここです。 でも案外私達は、やらなければならないことを後回しにして、やらなくても良いことをやっているところがあります。 まず自分が信心を頂く稽古をし、そして家族の人たちにわかってもらえるように。そのためには親子が仲良くしないといけません。 誰にも親は一組しかないのですから、そう思って親子関係をしてください。 こういうところが案外、粗末になっていて、やらなくても良いところに力を入れているところがあります。 私共には、やらなければならないことがいっぱい残っています。 手元、足元をしっかりやっていきませんと、基礎が悪かったら何もできません。 地上の目に見える所だけに目を奪われないで、基礎作りをしっかりとやることです。 するとその上には何を建ててもびくともしません。 あせらないで、そういうおかげを頂けるようにがんばりましょう。 (親先生のお話より) 前ページへ戻る |