真の道 2003.11.01発行 |
教祖様のみ教えに「真の道に居りながら、真の道を踏まぬこと」というのがあります。 これは「勝手・気まま・横着」な間違った道のことです。 横着しようとするから穴が開くわけです。 だから「実意・丁寧・親切・正直」に進めばよい訳です。 これが信心の種です。 しかいし私共は凡夫ですから横着をしたい。 そして、手抜きをして「上手くいった!」と思っている。 だから後になってそのしわ寄せが来るのです。 神様が私共に罰を当てられる訳がありません。 皆さん教えを聞かれながら「この天地は本当に上手く出来ている」と思いませんか。 「我侭、勝手、横着」について、いろいろと考えてみてください 。私共はそういう前々からのめぐり合わせで悩み、苦しみも多いのです。 私共のご先祖様と申しましても三十代ほどさかのぼったら大変な数です。 そういうご先祖様から今日まで私達の体内に血が受け継がれている。 そういう私共なのです。 こういうことが一つ一つ重なっての今月今日の姿なのですから。 人を大切にしたら人に恵まれ、物を大切にしたら物に恵まれる。 実意丁寧に神様中心にいつも考えて行動すること。 自分の我を出して突っ張らないことです。 「我」は何歳になっても、なかなか除けないものです。 年を取ればとるほど頑固になったりして、子供達から「頑固になったのう」と言われませんか。 でも皆さんは「自分はそんな事は無い」と怒るでしょ。 しかし本当はその通りなんです。 だからそう言われたら「その通りじゃのう」と思ってください。 子供達にそう言われるのは自分に原因があるのですから反省すること。 これは神様からのお言葉だと思って、改めるように頑張ってください。 先代先生もおっしゃっている通り、めぐり深いことは何も悪い事はありません。 めぐり深いほど、こうしてしっかりと信心させて頂いて。 神様が助けてやろうと言ってくださっているのですから。 教会に参っても出来るだけ前に座ってください。 後ろの方へゴソゴソと座ったのではもったいないですよ。 でも案外私達は平気でそういうことをやっている。 だから「真の道に居りながら、真の道を踏まぬこと」なのです。 また信心していても平気で人の悪口を言うているのも、もったいないですね。 人の幸せを祈ってあげたら良いのに悪口を言っているのはいけません。 古い信者さんの中にも人を責めてばかりいる人がおられますが、注意してあげても、なかなか自分のことだと気付いていない。 家族に見捨てられ諦められているようではダメですね。 だから聞く耳を持つようにしてください。 信心するものはもっと謙虚でありたいものです。 人の言うことにも耳を貸さないような頑固者ではおかげを頂けません。 「聞けることと、聞けないことがあります」と思うかもしれませんが、一応は人の声に耳をかす態度がありませんと。 反省する気がないと改まれませんし向上しません。 そして改めれば「めぐりは徳に変わる」のです。 (親先生のお話より) 前ページへ戻る |