青い鳥 2003.10.01発行 |
私共は神様のおかげで、こうして守って頂き、信心する前から「いのち」をもらっている訳です。 さらに「神様のおかげ」という自覚を高めるために、こうして信心のご縁があったのです。 私共は難儀が多いですから辛い事も多い。だから、こうしてお引き寄せを頂いているのでしょう。 世の中の人がみんな信心を頂けばよろしいのですが、まずは私達がお引き寄せを頂きましょう。 信心をしているということは特別のことではありません。 本来は人間すべてが信心をさせて頂くべきものなんです。 私どもは自覚する・しないに限らずおかげはいっぱい頂いています。 それを自覚するためにこうして信心の稽古をしているのです。 私共が毎日お参りするのは、自覚を頂くためです。 「守られている」ということが理屈では分かるのですが、身をもって分かればもっと楽になります。 「死」というのは大きい問題ですが、金光教では、これについてはあまり言われておりません。 それよりも「生きること」を強く言っておられます。 「死」というものは誰にも訪れることです。 日々を「いかに楽しく嬉しく生きていくか」が大切です。 童話の「青い鳥」では青い鳥は捕まえたら消えてしまいます。 それと同じように、おかげを蒙ったら、その時点で有り難さが消えることもある。 私共には「青い鳥を捕まえるまで」が大切なんです。 それは「信心する」ということ、神様を頂いていくということ、そうすれば幸せはいつもあり、神様が常にお守りくださっていることを忘れないことです。 「神様は常に私共につきまとうて、お守りくださっている。」「私は神様が離せない。私には神様が必要なんだ」という思いが無かったら辛いでしょうね。 おかげの出どころは神様。 この神様と一緒に居られるという思いは、すばらしいものです。このように信じておれば楽です。 どこに行っても「神様と共に」です。 「神様のお供で」という気でいたら、世界中どこに行ってもお守りくださっていますから大丈夫です。 金光教の神様は偉大なんです。 世界をお造りになった神様です。 生きても死にても天と地は我が住み家です。 この天地からは逃げられません。 この世は限りがありますが、あの世は永遠です。 だから今辛く苦しいことがあっても頑張りましょう。 私達はこの「生きている今」を大切にして日々を充実して生きられるように、よく神様にお礼・お願いを申しながら生かして頂きましょう。 今日もこうして生かして頂いて有り難い。 神様から頂いた生命は「広大無辺」です。 こうして生命を頂いて生かして頂いていることは決して「当たり前」のことではありません。そして誰もが幸せに、心配なく生活できる可能性を持っているのです。 だから暗く考えないで明るい明日に希望をつないで歩きましょう。 「前途は開けっ広げ」これで終わりではありません。 いくらでもおかげを頂けます。 「生きて安心。 死にても安心」です。 そういう境地が本当に頂けますように、しっかり勉強しましょう。 私共は誰も死という方向に向かって一日一日を大切に生きようとしているんです。 頂いた生命は老若男女の区別無しです。 みんな今日も新しい生命を頂いたのです。 だから「私はもう年だから」とか言わないこと。 家庭円満で家族仲良くほがらかで元気に今日頂いた命を「今日だけは」と喜んで頑張りましょう。 (親先生のお話より) 前ページへ戻る |