大切なもの  2003.08.01発行

 私どもはどうも「自分というものが分かったようで分かっておらない」です。

だからこうして日々お参りしておかげを頂きながら、足が地についた暮らし方をしないといけません。

 しかし、どうも足が地についていないような人もいます。

歩いているようでも足が空中に浮いているような人がある。

足が地についた暮らしぶりでしたら、いろいろ難儀が起きても、問題がこじれないで済むのですが、足が地についていないからこじれるのでしょう。

 誰でも幸せになれるはずなのに、なかなか幸せになれないのは、やっぱり足が地についていないからだと思います。

 案外、私どもは大切な物を見失っているのではないでしょうか。

その辺りに気付いてもっと改めていけば、今よりもっとたくさんのおかげが頂けると思います。

 私どもは手元をおろそかにして、遠くの方ばかり見ているようです。

日々いつもお世話になっている人の良さを忘れて、向こう側の他人を好感をもって見ている。そういう傾向があります。

 「自分の夫婦関係は大丈夫だ」と思っているのは大間違いです。

自分のお尻に火がついていても、それが見えていないから大やけどをするんです。

向こうの方ばかり見ていないでしっかり手元を見ることです。

お互いに気を付けさせていただきましょう。

 後になって泣くようなことになっては遅いのですから、何事も早めに手を打たせて頂ければありがたいですね。

「早めに気付かせてもらえて良かった。ありがたいことだ」となれば言うことはありません。

 「信心は転ばぬ先の杖」と言われています。転ばぬ先から神様にすがり、杖をつかせて頂くように。

何か事があってから後では遅いのですから。

 そして信心している私どもがもっとしっかり信心をして、このお道をもっと大切にして、お道の発展につとめていくことが大切です。

 「私はまだまだそれどころではありません」という人もおられるかもしれませんが、それでもみんなの良いお手本になるように頑張ることです。

そうすれば、それが自分の信心となって返ってきます。

 だから「あの人は信心をしているのに」などと言われないよう、お互いに日々の言動に気を付けさせていただきましょう。

 信心を頂いているのですから、「辛い、苦しい」と不足ばかり言ったり、つまらないことばかりしないこと、そんなことをしていたら、神様の顔に泥を塗ることになります。

 私共はありがたいお道の信者なのですから、「道にいる者が道をけがさないように」ということに気を付けましょう。

 きゅうくつなようですが、実行し続けていきますと次第にそれがきゅうくつではなくなってきます。

 こうなると「信心が身についた」ことになります。努力しないと、いつまでも身に付きません。

だから「家業の行」を心がけて「日々の改まり」を大切にし、そういう習慣を身に付けるように努力をしましょう。

 すると案外そういうことも苦にならないで改まりもでき、気がついてみたら足元にきっちりと残るものがあり、後で楽かできる。

余裕ができるということです。

余裕も無いのにつま先立って、あれこれと先走っても仕方がありません。

 無理をしていると不利になり、最後には大変な損をすることになります。

だから身分相応で無理をしないこと、天地の道理に合う生き方をさせてもらうことです。

 「人を責めず、利用せず、当てにせず、恩を着せず」です。

人を当てにするのではなく、神様をしっかり頂いていくことです。


     (親先生のお話より)

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