ゼロ  2003.07.01発行

 私共にはメグリがあるから、なかなか最初からスーッと上手くいかない訳です。

 ゼロ地点からの出発でなく、マイナス地点からの出発だからです。

マイナスからのスタートですから水面に見えて来るまでに大分時間がかかります。

「ゼロからの出発」だと思うとなかなか信心も続かないですが、「マイナスからのスタートだ」ということが自覚されますと、信心をやめるということもなくなります。

 世の中には別に信心しなくてもスイスイと順調にいく人は多いです。

私共は「何で私と差があるんじゃろうか。自分は一生懸命お参りしているのに」と思う。

 でも、今スイスイいっている人は先が危ない。

だいたい、いつまでもスイスイと順調にいくわけは無いのですから。

「スイスイ行っている人は幸せな人だ」とは思いません。

今は順調だが、信心が分かっておられないと危ないと思います。

 逆にあまり順調でなくて、つまづきながら進んでいる人の方が、ものが分かっていて安心です。

 続いて信心をしてこられた人は、だいたい信心が分かっておられるから、安心です。

よくお参りされる人は安心ですが、たまにしかお参りされない方は不安です。

そういう人がトラブルを起こすのです。

 だから何としても、こういう人におかげを頂いてもらわないといけません。

しかし、こういう人は気まぐれなお参りの仕方をされるから、物を渡そうとしてもなかなか会えない。

 何かがある場合は、なおさらのことよくお参りしてお届けもされないといけないのに、ことが終わってから参られたのでは、もう遅いです。

 何もかも好都合で「万事よし!」の世の中でしたら何も苦労はありません。

 世の中には運が良くて、まぐれで出世した人もありますが、苦労しながら出世した人の方があれこれと分かった人ですから安心です。

 こういう中でもおかげを頂けているのは、お取次ぎのおかげです。

先代先生からのお取次ぎの徳によって、今は引き上げて頂いているからです。

 私共のメグリは、御結界から出てくる徳によって立替えて頂き、私共はその利子だけを支払っている形です。

 もちろん、前借りをした「徳」はお返ししないといけません。

どういうふうにして返したら良いのか。それは足を運んで信心をさせて頂くことです。

 しかし、いくら参っていても徳を積まないのではダメです。

困った時にだけお参りをしていたのではダメです。

 前借りしている分をお礼参りしながら、少しずつでも返していくようにしましょう。

 だから、ちょこちょこ怪我をするのも、大きい病気を小難に分けて頂いていることが多いです。


     (親先生のお話より)

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