人のふり見て  2003.06.01発行

 信心とは心が神様に向くこと。人や物に向いていてはおかしくなります。

しかし、私共はいろいろ目に見え、耳が聞こえるから間違いも起こしやすい。

「人の不行状を見て、我が身の不行状になること」という教えもあるように、雑念に追われ、いろいろ思って惑わされていると、せっかく頂けるおかげも落とすことがあります。

 先代先生も、ある方が「修行に入りたい」と希望されたとき「私も家内も我が有るが、あんたはこんな中で辛抱できるか」と念を押しておられます。

みんな人間ですから、表も裏もある。良いところばかりではありません。

人にはいろんな性格があります。

特にご用に入ろうとされる場合、先輩達がみんな良く出来ておれば良いですが、先輩といっても出来た者ばかりではありませんから、取り違いの無いようにしてください。

 ご用していても足りない面が多いのですから、それを見て「人のふり見て、我がふり直せ」で自分が改めたら良いのです。

そうしていますと「この人は、なんでおかげを頂けないのか」ということも段々と分かってきます。

「人の欠点が見えるのは、自分の欠点を教えてくださっているのだ」という心掛けでおられるのがいいです。

 何でも実践しながら学ぶのです。なかなか人の付き合いはきれいごとでは済みません。

 人が十人集まれば、その中には良く出来た人も、つまらない人も、中間をいく人もいろいろあるものです。
どんなグループでもそういうランクが出来るそうです。

「みんなが均一である」というグループは無いそうです。

だから「教会へ参る人はみんな良く出来ている人たちだろう」と思ったら大間違いです。

 しかし、私達は信心をさせて頂いているのですから、他の集団とは違うと思います。

ただの「仲良しクラブ」ではなく「お互いがおかげを受けられ、信心が頂けるグループ」になって頂きたいと思います。

 私共は「教祖様の生き方」「このお道の有り方」に志を抱くものが寄っているのですから、そこを間違えないようにして、教祖様の立教の精神を抱いていきましょう。

そのご意志を忘れないようにして信心の稽古に励んでいきましたら、必ずおかげを頂けます。

 でもそういう事を忘れて「自分が、自分が」と信心を進めようとしたら間違います。

トラブルに巻き込まれてしまいます。

 信心の世界にもルールがありますから、それに従ってやってください。

それは「人を責めない」ということです。

人を責めたくなった時も、神様に「育てて頂きますように」とお願いをしていくようにしましょう。

そしてお互いにおかげを頂いて助かっていってほしいのです。

 目には見えて「物に恵まれる」「人に恵まれる」という事もありますが、もっと大切なのは自分が助かることです。

ご用を通して信心を進めていくことができましたら、家庭も良い家庭になります。


     (親先生のお話より)

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