− 苦難ありてこそ − 2025/05/01

 
 私達は天地の間に生かされている訳で、天地のご恩恵を頂かないことにはどうにもならない訳です。
神様のお力、生きる力を頂かないと、声も出ないし歩く事も出来ないということです。
 普段、何でも出来るように思いますが、いろいろ難儀な事に遭って、特に病気ですね、病気の痛み苦しみを経験したら良く分かります。
だんだん年を取るとあちこち神経痛になったり関節痛になったり、自然に体も痛んでまいります。
 私も若い頃は神経痛なんか何とかなると思っていましたが、自分がなってみたら良く分かります。ズキンズキンと痛くて寝られません。
寝る方向を変えてみたりするんですが、どうにもならないから掛け布団を丸めて抱いて寝たりして、そんなことが皆さんあるはずです。
腰が痛い・足が痛い、足の付け根が痛くなったり、いろいろあります。
 ただ、その時にどう思われますか。今まで痛みが無く好きなように寝られていたことがどれだけ有り難いことか良く分からせていただけます。
そう考えると痛みというのは、そういうことを気付かせていただけるキッカケであり、オカゲなのです。
 他にも苦しい事つらい事、人間関係とかでもそうです。それを通して自分が気付かせていただけるのです。
要するに難儀な問題というのは幸せと裏腹なんです。ひっくり返った時には幸せにしてくださる。
 これを教祖様は「難はみかげのはじめなり」と言われています。
難こそオカゲの元であって、つながっているということです。
 しかし、私達は良い事と悪い事を分けて考えてしまうからなかなか助からないのです。
これは良い事、これは悪い事、という風に知らず知らずのうちに分けてしまう。
 「楽は苦の種、苦は楽の種」と言われます。楽をしておれば苦になるし、苦をしていれば楽になる。
交互に来ますが大体は苦の方が長い。しかし信心していたら、苦が短くなり楽が長くなってきます。
 教祖様は「信心していれば、目に見えるおかげよりも目にみえないおかげが多い、知ったおかげより知らぬおかげを受けることが多い」と説いておられます。
今、私達の目に映っているいろんな現象は、目に見えない大変なおかげの中での働きであると思います。


 (親先生のお話より)

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