− 命のパワー − 2024/09/01

 
 自分の命が神様から頂いたものだということを信じるのは難しいですが、お互いに命があることは見れば分かります。

 私達はいろいろ文句や理屈も言いますが、こうして喋らせてもらえるのも命があるからこそ、止まったら全然ダメです。
神様は偉大なお方、絶対的な存在です。

 天地を信じられない人は誰もいないと思いますが、天地の働きを「当たり前」と思っている方もおられるのではないでしょうか。
しかし、実際には、私達は神様(天地の働き)から沢山のお恵みを頂いているのです。

 今年も実りの季節になり、早い所では稲の刈り取りが始まりました。
稲をお育てになるのは神様で、農家の方は稲が育つためのお手伝いをするだけです。
そして私達がお金を払うのは農家の方々の手数料です。
 玉水の初代大先生が良く言われていますが、感謝はしないといけないものじゃない。
せずにはおれないものであり、信心もそうなんだと。
信仰というものは、私らの命がある限りはさせてもらわないといけないものだ、と。

 一生信心の無い方もあるわけですが、そういう方は気の毒だと思います。
自然を拝む、というのは空気みたいなもの、という感覚です。
だけど空気どころではない、天地・宇宙の全てなのです。
人間も他の生き物もあらゆる物質も全てを含む、とても偉大なもので信じざるを得ません。

 先代先生は「神様は愛の塊である」と言ってくださっています。
神様の愛情は目に見えないので無いように思われますが、実際は濃いものが結晶となって私達の体に届いてくるのです。
その代わりどっぷり浸かっていることを分からないといけません。

 私達は命を頂き、衣食住において天地の物をいっぱい頂いているのです。
だから住まわせていただいていることのお礼をしっかり言わせてもらう事が大事です。
言わせてもらわないといけない、じゃない。
せずにはおれないものだと思います。
そこにちょっと気が付くと信心は割と楽になります。

 しないといけないと思うからお参りもしんどいのです。
せずにはおれないもの、私達にとっては例えば携帯電話の充電みたいなものです。
携帯電話も電池が切れたら使えません。

 しんどいなあ、という時がありますが、そういう時でも、しんどいと思うよりも、ああ生かしてもらってるんじゃなと思えば楽になります。

 今日も天地(神様)から命を頂いて、その命のパワーを充電させていただき、神様の道、正しい天地の道理にあう生き方を間違いの無いように。
このお道は神様と人間とが仲良くする道ですから、人間同士でも恨んだり責めたり喧嘩をしたりせず仲良くさせていただきましょう。


 (親先生のお話より)

 前ページへ戻る