− 生かされてこそ − 2024/05/01

 
 人生というものは面倒なものです。
「面倒くさい」ということが生きることで、これが真理です。
生きていくためには、食べなくてはいけませんし、動かなくてはいけません。
でも、いつ歩けなくなるか分かりませんし、食べられなくなるか分かりません。
みんな、痛みを抱えながら年を取っていくのです。
ですから、生きるということはしんどいことなのです。

 生きるためには息をしなければなりません。
しんどいからと言って息を止めてしまうと、死んでしまいます。
30秒止めてもしんどいです。
ということは、息が出来ないということは相当つらいことです。
命にかかわることなのです。
ですから皆さん、そこをおかげを頂いているということをしっかり自覚して下さい。

 「しんどい」なんて言ってはいけません。
しんどいのは、自分で生きようとするからです。
「生かされてありがとうございます。しんどいことはおかげでございます。」と思うようになって下さい。

 お参りすることもしんどいことですが、それだけに真剣に、内容の濃いものにして、皆さんと共に共有させていただくということはありがたいことだと思います。
 
 お参りの時間は神様にお供えしているのです。
神様はちゃんとご存じで、絶対おかげを下さいますので心配なさらないで下さい。
みんな成就させて下さいます。
お参りに費やした時間は私達の真心で、それが信心なのです。
しっかり、命を継いでいただく信心をさせていただきましょう。
 
 それにはまず「面倒くさい」ということをお礼申し上げることです。
教会にお参りするのは、面倒なことを喜ばせてもらうためにするのです。
私達はお礼が足りませんので、せめて神様に顔を見ていただいて、お礼を申し上げることが信心だと思います。

 今月は御大祭があります。
私達は、天地の親神様からいっぱいおかげを頂いております。
私達が気付いていない、数知れないおかげを頂いておりますことに少しでもお礼申させていただきましょう。
そうすることで、神様が喜んで下さるのです。
みんなが揃うことに意味がありますので、足りませんけれどもみんなで寄って、手を繋いで、お礼を申し上げさせていただきましょう。


 (親先生のお話より)

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