− おかげの事実 − 2023/12/01

金光教の信心は他と何が違うのでしょうか。
それは一人一人が神様の祈りをいただく道なのです。
私たちがこちらからお願いするのではなく、神様の祈りを受けていく道なのです。
 
 神様が降りてきてくださり、私たちと一緒に生活し、私たちと一緒に苦労してくださる道です。
教祖様はそういう「天地一目に見てくださる神様」を見出してくださいました。
信心しなくてもおかげをやると仰っておられるのですから、既におかげをいただいているのです。
 
 私達は命をいただき、社会的な立場をいただき、その上にまだおかげをいただこうとしているのです。
 そのことをもうちょっと勉強させてもらわなければならないと、私が学生の時に銀座教会の初代親先生がよく言ってくださいました。
「あんたら信心せぇ言うたって、信心が分からんのじゃからできん。しかしながら、おかげの事実を見ていきなさい。」と。
それはどういうことですかと尋ねると、「今生かされていること、今自分の立場がこうしてあること、親が居ること。あんた方はまだえぇ、親が二人とも居るが。ありがたい思え。」と。
その時はあまりピンときませんでしたが、そういうようにおかげの事実を見ていきなさい、ということだったんだと分かります。
 
 風邪をひいて咳き込んで鼻水が出て熱が出たときにどう思いますか?
しんどいなぁとは思いますが、普段これだけおかげをいただいとったんじゃなぁと気づくはずです。
私たちの体も目に見えない糸で神様が操っておられ、その糸が切れたら動けなくなるのです。
 
 そしておかげの事実をしっかりと見てください。
そうすると、「なるほどなぁ、こういうところに神様の働きがあるんじゃなぁ」と気づくようになります。
 
 教祖様の教えはみな神様のお言葉だそうです。
暇がかかりますが、自分だけが助かれば良いのではありません。
自分が助かっても家族が助からなかったら辛い。
何かをするにしても家族の反対を押し切ってやるのはつらい。
逆に家族が応援してくれれば力が出ます。
どうぞ工夫して皆さんおかげを被っていただきたいです。
そうすれば神様も喜ばれます。



 (親先生のお話より)

 前ページへ戻る