− 心配する心を 祈りにかえて − 2023/07/01 |
信心は一言で言うと、神様を信じてお任せするということです。 それができなければ、相変わらず不安でいつも心配ばかりしなければなりません。 教祖様は「心配するだけ神様におすがりしなさい。」と仰っておられます。 神様は【自然】なのですから、自然に頼めば良いのです。 信心の無い方は、ただ法則として、自然の摂理として受け入れているだけですが、私達は自然を神様として頂いているわけですから、全然違いますね。 神様の中に自分がぽつんといる、それが信心の考え方です。 自分の世界の中に神様が居られる、それは信心ではありません。 神様の大きな自然の中に、自分を置いていただいている、そういう考え方をしていかないと助かって行きません。 安心ができないです。 ですからどうぞ、「自然のお恵みの中に、こうして自分が生かされている。力が無くても、神様が支えて下さっているから生きていられるのだ。」という、その思いを、もっともっと分からせていただきましょう。 自然の働きは無限です。 いくらでも頂けるのです。 おかげは受け得、受け勝ち、自分の自覚次第です。 ただ、自分がどれだけ神様に働いていただいているか、ということを分かっていないと、自分がやってしまうのです。 「人の勢い」というように、人間にも勢いがあります。 でもいつか、ずっこけます。 それが恐ろしい。 勢いがあればあるほど、慢心してひっくり返るのです。 なんでもかんでも思うようになって、自分の才能に溺れてしまうと、突然ひっくり返ってしまう。 大けがのもとです。 自分には腕があるといっても、なにかあると、そこでアウトです。 人の勢いというのは、いつまでも続かない。 有限なのです。 ですから、無限なる神様におすがりし、思いを変えて、偉大なる神様の中に自分が生かされているのだということを、しっかり分からせていただきたいと思います。 (親先生のお話より) |