− 奉仕と親睦 − 2021/12/01

 先代先生は、金光教は家庭宗教じゃとおっしゃっておられます。
具体的には、私たちが普段の生活の中で一生懸命に神様のお手伝いを、みんなが幸せになるための奉仕と親睦をさせてもらうのです。

 奉仕というと、なんだか損をするようですが、みんなが喜ぶためにさせてもらう。
そして神様のお手伝いだと思ってやらせてもらうのが信心です。
そしてそれは、勤め人でも同じことです。

 お勤めの方でも「私が一番仕事させられて割に合わん」と言っていても、それも神様のお手伝いです。
させてもらうことによって、自分や会社が立ち行かせてもらえたら良いわけですから、そこのところを願っていかないといけない訳です。

 どこまでも奉仕です。
そして、みんなと仲良くして人を責めないことです。
人間心でやると腹が立ったり責めたりしますが、それではいけません。
円満、親睦を図らせてもらうのです。
一生懸命やっている姿を、見ている人はちゃんと見ています。
神のみぞ知る、ではありませんが、だんだんと周りの方も分かってきます。
その人がいないと舞が回らないのですからね。

 ご家庭の中でもどうぞみんな仲良くして、少しでも神様のお手伝いだと思ってやってください。
腹が立つなあ、不平等じゃなあと思っても、そうそう神様がこの不平等をしっかり埋めてくださることによって、私がお徳を頂けるのだと思って実行してください。

 また、教祖様の教えで『人の悪いことを言う者がよくある。その所にもし居たなら、なるたけ逃げよ。陰で人を助けよ』という教えがあります。
悪口を言っている所に遭ったらそーっと逃げてください。
そして陰で人を助けるようなご用をさせていただくこと。
これも奉仕です。

 ただし、そこには「祈り」が無いといけません。
無限の神様に祈る心、命を頂いていることのお礼と、お礼の足りないお詫び。
腹の立つ事もありますし、不足も言いますし、ご無礼もありますから、そのお詫びです。
なにより、神様から頂いているこの命が一番尊いのです。
命が無かったら全然話になりません。

 皆さん、なんでもここから運命を切り替えさせていただいて、子孫繁盛をしっかり願い、家族が一人でも多く賑やかになって繁盛いたしますよう、元気で共々にごひれいのおかげをこうむらせていただきましょう。


 (親先生のお話より)

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