− 苦あれば楽あり − 2021/09/01

 教祖様は『子供の事は親が頼み、親の事は子どもが頼み、あいよかけよで頼み合いいたし』と、記録を残しておられます。
子供さんたちにイロイロな問題がある方々はしっかり神様に足して頂いて、神様にお縋りして頑張りましょう。
その中で、親子で勉強をさせてもらうのでしょうね。
 私どもはこの世に勉強に来た、「神様がおられる」という勉強に来たんだと思います。
だからそれが分からなかったらいつまでもつらいです。
少しでも神様のお恵みと言いますか、お働きに触れさせていただいて、有り難いなあと思えるように進ませていただきたいですね。
ひとつも有り難く無いわ、ではいけません。
ああ、こういう所が有り難いんじゃなあ、と気付かせていただきましょう。
 しかし、人間というものはせこいもので、ちょっとでも働かずに楽をしたいという気があります。
その正体見たりで、天邪鬼だな、意思が弱いなと、そう思いませんか。
だけどその思いを、信心すればよくわからせてくださいます。
そこを、自分はこんなもんじゃと思って神様にお縋りしていけば大丈夫、やっていけます。
 楽をしたいけども、楽ばっかりしていると体がなまって体力も付かないし、辛抱ができないようになる。
やっぱり、つらいことがあるから、ここを辛抱してと思うから、元気にしてもらえるのだと思います。
辛抱した分だけ神様は喜んでくださり、神徳をくださり、そしてメグリを取っていただけると、そう思います。
 退職なさった方が病気をするのはその逆ですね。
朝から必死で働いていたときには元気でいられたのですが、退職したとたんにやることが無い。
なら1杯飲もうか、で1杯が2杯・3杯になって、結局体に酒毒が溜まって病気になってしまう。
 だから、やっぱり貧乏暇なしがええんです。
働かんと食べて行かれん、というほうが一生懸命になれますし、前を向いてしっかりやれます。
あとはもう神様にお願いしておけば良いのです。
良い具合に一つ元気にさせていただいて、最後まで人の倍ぐらい働かせていただき、元気でおれるようにと、お願いされれば良いと思います。
それだけ働かせてもらえるということは大きなおかげです。


 (親先生のお話より)

 前ページへ戻る