− 天地の祈りの中で − 2021/07/01

 私たちは神様のおかげをいただかなければどうにもならないのです。
食べる物ができるのも神様のおかげ。
毎日歩かせてもらい、食べさせてもらえるのもおかげ。
何かが欠けたら全然ダメです。
貧血になったら立っておられませんし、低血圧になったらフラフラします。
だから血圧が高くても歩かせてもらえるのはありがたいことです。
食べた物の味がする、カラーで物が見える、言いたいことも言えるし、やりたいこともできるのです。

 その「生きる力」を神様がくださっているのです。
ご家族にも、そうした日々の「当たり前のことを喜ぶ」という事を伝えてください。
これが信心の大きなテーマです。

 神様はそこのところを私たちにこうして毎日訴えてくださっているのではないでしょうか。
毎日が当たり前じゃないぞ、と。

 いつものように朝、目が覚めて、夜休ませてもらえる、ご飯が食べられる、そして痛いところが出てくる。
痛みも苦しみも神様が生かしておられる証拠ですから、どうぞお礼を申してください。

 痛い時、お礼はなかなかすぐには言えませんが、生かされてる証拠なんだと思ってください。
誰でも病気や痛みがあれば気をつけますね。
逆に、元気で何もなかったら気をつけません。
調子が悪かったら食べるものから寝ることから、いろいろ気をつけて、体のこともいろいろ勉強します。
それで元気ということが分かる訳です。
退院した人は皆さんそう言われます。

 ありがたいと言って涙を流すのは病気が治った時です。
元気な時は何も言いません。
当たり前のような顔をしてますけど、自分で元気を保っている訳ではない、神様が元気にしてくださっているのです。

 病気をして力が無いことが分かります。
よくよく生かしていただいているんだということが分かって、そしていろんなことが分かるようになり喜べるようになります。
病気もおかげのひとつなのです。

 (親先生のお話より)

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