−天地の命− 2020/08/01

 世界中にたくさん子供たちがおりますが、海外では学校が足りないところもある。
勉強したくても近くに学校が無く2時間ぐらい歩いて通うというような子供もいる。
教科書や鉛筆がなかなか揃わない地域もある。
そういう所の子供たちは勉強したいと言っているのに、日本では、勉強が嫌じゃ、学校に行きたくないと言う子供もいる。
9月になって学校が始まると自殺する子供もいます。
 それは、命の尊さというものが私たちから抜けてきているんだろうと思います。
勝手に生きているように思うのです。
 それが一番の問題で、信心させていただいている私達が、命の尊さを家族によく伝えてください。
それからお墓参り。
ご先祖様を大切にするということと、親孝行。
どの国でも、どんな肌の色の人でも、みんな親がいて子供がいて孫がいるのです。
それは世界中どこも皆共通です。
それをちゃんとハッキリ教えてあげないと間違えてしまいます。
 恵まれていると、なんでも自分一人の力でできると思うのです。
それで皆、大変な考え違いをし、物が分からないから苦しむのです。
自分がいけないのは世界がいけないせいだ、というようになって、テロリストのようになる人もあります。
また逆に自分自身を責めて亡くなる人もあります。
 人間というのはつくづく難しいと思います。
勉強をして計算はできたり、物は知っているのでしょうけれど、自分と自然との関わりということについては全く他人事。
そういう勉強をしても、知識としてしか見えていない。
自分自身の命としての見方ができていないことが問題です。
 このことについて先代先生は『頭が本箱じゃ』と言われています。
また、『賢いオニにしちゃいけん』とも言っておられます。
そのオニが地獄を作り、「わしが」という金棒を持って直接人を叩いたり、人の心を叩いたりするのです。
 この天地は命そのものです。
そして私たちの命を支えているということです。
私たちは天地の一部だということを頭では分かっているつもりなのでしょうけど、実際は勝手なことをしています。
 命を大切にしないといけないということは確かです。
どうぞ、信心させていただいている私たちは、ご先祖さまの供養や親孝行は当然のことで、これを何でも具体的に実践させていただいて、幸せになりましょう。
私たちが幸せにならないことには、信心の無い人は信心しません。
 日々、生かされて生きることが信心です。
己が力で生きているというのでは、ただ自分が生きているだけのことです。
家族の間、親子の間を拝み合い、喜ぶ稽古をさせていただきましょう。

 (親先生のお話より)

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