高須教会書籍・刊行案内

書籍
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 下記に掲げる刊行物は希少で、絶版になっております。

先代安部利見先生が、お好きだった寒椿の花


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※写真:寒 椿


安部利見感話 第一集


 「感話」とあるので、教話、法話の類だと推察出来よう。
しかし、この第一集のお話は、強い感動で読み手を揺さぶる教話である。
第一章の『私の信仰を語る』には、「死の関頭」に立たされた、二十三歳の将来を夢見る青年が二十数回の大喀血の中から、神の実在を体験し、自分の人生を宗教者として生きることになった経緯が述べてある。
 「嵐の青春」の回顧は時代を越えて、人生の第一義とは何かを教えてくれるで
  あろう。
 −M.M氏 寄稿−

 平成11年(1999年)3月26日刊


安部利見感話 第二集

安部利見感話第二集
 安部利見師が、信者に対して話された教えが収録されている。
話題は幅が広く、語り口が巧みで、無作為に開いたどこから読んでも、読み手の抱える苦しみ・悩みの解決の糸口を与えるに違いない。

 −M.M氏 寄稿−

 昭和59年(1984年)3月26日刊


安部利見感話 第三集

安部利見感話 第三集
 この感話は、第一章「錬り出す」、第二章「世のため人のため」第三章「任す」第四章「本体に目覚める」の章立てとなっている。
信心生活の基本理念により教話を分類してある。
少しずつ読み進めて見ることも考えられる。
特に第四章の「本体」は、師の宗教哲学に基づく深い学識と思索をふまえ、寝食を借しんでの日夜祈念された求道者から
 生まれた、新しい人間の「いのち」の発現である。
 −M.M氏 寄稿−

 平成元年(1988)年3月26日刊


安部利見感話 第四集

安部利見感話 第四集
 この四集にある教えは、一つ一つが極めて短い。
長くても数行である。
その短さが字面の意味はわかっても、その本質的なものは信心未熟な者には、はっきりと理解できないかも知れない。
その上、一つ一つの教えが、つながりを持っている。
例えば、ダイアモンドの首飾りの一粒の輝きが他の粒とつながることで相乗的に輝きを強め、見るものにとっては、その
 首飾りをしている当人の姿は見えないような事かも知れない。
 ここにある教えは、宇宙宗教ともいえる深い広大な教えである。
 人間一人ひとりの内在の神が、天地を自由になさる神につながる道が説かれて
 いるともいえる。
 −M.M氏 寄稿−

 平成6年(1994年)3月26日刊


先代親奥様(安部勝子師)が、こよなく愛していらっしゃった萩の花


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※写真:萩の花


慕 萩

慕萩
『生まれながらの弱い身体で一生涯たいへんな日々を送った母。
色では紫とピンク、花では萩をこよなく愛しておりましたので、それにちなみ、慕萩と題をつけさせていただきました。萩は幹が細くても倒れそうで倒れないしなやかさを持ち、目立たぬ可憐な小さな花をつけますが、その形状は、何となく母のたどった一生をあらわしているように思えてなりません。』
引用:「慕萩」はじめに より

◇◇◇◇
 「慕萩」には、先代先生と共に苦難の道を歩まれながらも、神様を信じ抜かれた先代
 親奥様安部勝子師の折々に話されたことを、第一章「おいたち」、第二章「思いのまま
 に」として、収録した。
 「おいたち」には恵まれた家庭環境にありながら、幼時から、普通の人間では考えられ
 ないような病気の連続した人生がつづく。
 これにもめげず、金光教入信後は教えの親にすがりながら、そして、神のはからいの中
 で結婚後は、夫の安部利見師と共に信心の道を歩まれた話が述べられている。
 「思いのまま」には、神を信じることの信念の強さが日常の細かなできごとに至るまで
 貫かれたことが述べられている。
 たおやかで、ひっそりと咲く萩こそ、先代親奥様の姿でもあろう。
 −M.M氏 寄稿−

 昭和60年(1985年)10月7日刊

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